(続き)
さて,人為的な知性向上に伴う悲劇というテーマは,「アルジャーノンに花束を」を思い起こさせるものだ。
「アルジャーノン…」は,「愛」のない「知性」の無意味さを訴える。
「シリウス」でも,「愛」と「知性」の両立について考察しているが,大きな違いは,「アルジャーノン…」が弱者の視点であるのに対して,「シリウス」は,あえていえば,選良の視点であることではないだろうか。
本来,人間というものが,「愛」と「知性」の器たる存在であることを認識している人間が実際にはほとんどいないことと,その素質を有し,また,自覚もしているシリウスが,「犬」という器しかもっていないという現実に押しつぶされてしまう過程を描いたこの作品は,本来の役割を果たしていない人類への作者のペシミスティックな気持ちが表されているような気がする。
さきほど,この作品が「冷徹」と書いたのは,その意味であり,登場人物(犬?)を,感情に溺れることなく,実に,客観的・内省的ときには辛らつなほど批判的に描いているのである。
ただし,宗教的,哲学的に踏み込んだ章の部分が,重要なのだろうが,元来,宗教心薄く,粗雑な私めには,正直,明確にはわかりません。
そのため私が感じたことも,的外れのことがあるかもしれませんので悪しからず。
読みやすいが,斜め読みはできない。
再読,熟読をすることで,魅力を増す作品であると思います。
ステープルドンの作風は,思弁的で,そう向こう受けしそうもない作家であるのに,4作品が,絶版もあるもののわが国でもそれなりに命脈を保っているのは,たいしたものだと思う。
私は,「シリウス」と「オッド・ジョン」(この作品も名作)しか読んでいないが,「スター・メイカー」と「最後にして最初の人間」も,読まないかんなあ。
「シリウス」は,数年前に復刊されたので,まだ棚に残っている本屋さんもあると思います。