「わたしは"宝石"。わたしは多観(マルチプレックス)な意識を持つ。これはつまり、さまざまな視点からものごとを見られるということである。わたしの内部構造における振動パターンの倍音列。それが持つ働きのひとつこそは、この多観性にほかならない。ゆえに、これよりわたしは、文学の世界でいうところの<全知の観察者>の視点から、この物語をじっくりと語っていくことにしたい。」
植民惑星テュロスの農夫、コメット・ジョーは、その名のとおり、星々を眺めるのが好きな青年でしたが、ある日、八本脚の仔悪魔猫ディクにより、墜落した宇宙船の衝突現場に導かれます。そこで、ジョーは、いまわの際の乗組員のノルンから、エンパイア・スターへと行き、メッセージを伝えてほしいと託されますが、ノルンは、それだけを伝えると「宝石」と化してしまいます。
いったい何のメッセージを伝えればよいのかもわからないジョーでしたが、テュロスでの、平穏で単調な「単観的」日々に別れを告げ、ディクとともに、「宝石」を携えて、エンパイア・スターへの冒険に旅立ちます。
ジョーは、その使命を果たせるようになるため、様々な人との出会いや経験により、物の見方を大きく変える訓練を受けていきます。
戦争により荒廃した各植民星の復興のために欠かせない「ルル」という生物を所有するサン・セヴェリナという女性、精神とコンピューターとの混合体のような「言語的遍在型多観体」(linguistic ubiquitous multiplex、通称ランプ(LUMP))たちの教えを受けて、ジョーは、「単観的」(simplex)から、「複観的」(complex)、さらに「多観的」(multiplex)な考え方のできる人間へと成長していきます。
このエンパイア・スターは、時間と空間の裂け目に位置し、過去と現在と未来が混沌としている場所となっています。エンパイア・スターにおいて物事が転移する仕組みを知り、制御することができれば、強大な力を握ることができます。その権力の掌握、また、苦役に従事する「ルル」の解放を巡っての、「帝国」の覇権争いに、ジョーは巻き込まれていきます。
物語が進んでいくと、ジョーは、ノルンが未来の自分であることを悟るようになります。そして、サン・セヴェリナも、ジョーの時間軸に相応して、ジョーと深く関わる女性の登場人物と同一人物であることが、分かってきます。
「エンパイア・スター」は、早熟の天才、ディレイニーが、1965年、23歳の時、わずか11日間で完成した作品といわれています。
基本的には、物語は、中心となる、この二人を巡る因果と時間の流れが、「円環」的に描かれていますが、円環に収まる調和の心地よさを楽しむ作品とは違う気がします。
言及されたエピソードに基づいて、読者が、この「円環」の中のピースをいろいろと埋めることが求められているのかもしれないし、多元的な宇宙においては、少しずれた「円環」もあるかもしれないことに気づくことを求められているのかも知れないし、挑戦的な作者の思いを強く感じます。
ことあるたびに、「単観」、「複観」、「多観」のキーワードが出てきて、「多感的」な読み方ができるようにちゃんと設えてある作品ですよという、ディレイニーの念押しが、読者に迫ってくるので、「単観」的読み方では、作者の要求ラインに達していないと言われそうな息苦しさも感じるところはありますね。
「多観性とは、純然たる論理的推論の範疇にある。プリンスの宣言の件を先に記述しなかったのは、それが叙述の流れを阻害すること、ジョーの質問内容を見れば、その直前になにがあったのかを十二分に推測可能であること、多観な読者であれば、それを自力で推測して補填できると判断したこと、そういった理由からだ。じっさい、この物語を通じて、わたしは何度もこのような措置をしてきている。」
ただ、深読みは脇に置いておきまして、言葉をきわめて大切に使い、豊かなイメージ喚起力を有するディレイニーだけに、「単観」的に、冒険ものとしても、十分に楽しめる作品です。
宇宙「帝国」が存在しており、奇妙なペットとオカリナを持つ美少年が主人公であるという一見チープな設定ではありますが、「多観」の重要性を深掘りするというテーマを表現するには、パルプ的活劇と平板な主人公ではとても手に負えないため、ディレイニーの才によって、ストーリーと主人公造形の質と熱度の高さが如実に出ているところが興味深いところです。
また、面白かったのは、作中で、スタージョンのことが高く評価されていることでした。
私もスタージョンが好きなので、ディレイニーがべた褒めするのはうれしいのですが、こちらも天才であるレムからは、スタージョンは全く評価されていないのもまた面白いですね。「言葉」重視か、「理屈」重視かの違いでしょうか。
たとえば、大むかしのSFの書き手でシオドア・スタージョンという作家がいるんだが、その作品を読むたびに、ぼくはいつも圧倒される思いを禁じえない。まるで、ぼくが見てきたものをすべて先に見ているような感じなんだ。(中略)スタージョンはフィクションを書いていたはずだ。それも四千年も前に。しかし、この作家の作品を読んで、やはり同じような感想をいだく読者は、ぼくだけでなく、ほかにもおおぜいいる。こんな芸当ができるのは、きわめて稀有な作家といわざるをえない。」
