一九八八年二月十一日木曜日、可能な限り正確な時間として午前三時から午前五時十七分のあいだ、ロンドン南東局十八区のプラムステッド・ハイストリートを南にやや行ったあたりで、"ヴァーマン通り"が出現した。空間的制約のためか、今回のヴァーマン通りは確認されている最後の出現時(一九八三年、バターシー-----VF索引を参照)よりもいくぶん短く、ゆがんだ形態である。
作家チャイナ・ミエヴィル氏のもとへと誤配された大ぶりの封筒。中には、ロンドンに出没する、怪しげな「通り」に関わる、秘密結社的研究者の会からの、雑多な書簡、資料、報告書の類が、断片的に入っていたのである。宛先は、チャールズ・メルヴィル。摩訶不思議な怪現象に興味をそそられたミエヴィル氏は、"ヴァーマン通り"、また、メルヴィル氏の消息をつかもうとするのだが・・・。
ロンドンの街路というと、沿道には、レンガ・石造りの重厚で風格のある建物が立ち並び、シックで落ち着いた街灯や歩道の石畳などなど、歴史を感じさせるというイメージがありますね。霧の都というくらい、気候的にも幻想的な雰囲気を背景に、過去からの様々なエピソードを有するスポットがそこかしこにある。ロンドンの街の「通り」に対する思い入れには格別のものがあるのだろうということを前提にしたファンタジーとして楽しめました。
SF的発想では、せめて、何らかの変革の予兆のほのめかしや、無理からの似非理論で理屈をつけるなどという「努力」をするのでしょうが、この作品は、そのへんには全く関心がなく、読者に投げ出されたままであるため、好みが別れる作風だろうと思います。
私の通う京都中心部も、「通り」に対する愛着、思い入れは結構強いと思います。
♪丸竹夷二押御池姉三六角蛸錦♪ 通り名ソングとして、有名どころですね。
だいぶんと京町屋も減りましたが、それでも、情緒ある雰囲気も残り、お寺や、老舗、由来を記す石碑、通りの角々を適当に曲がりながらプラプラと散歩すると、いろいろな発見もあり、やっぱりよいですね。良し悪しは別として、観光客が少なくなった今は、静けさを取り戻し、本来の姿を見せています。行き止まりの路地(ろおじ)や、通り抜けられる、狭い図子など、歴史も生活感もある「通り」は、京都の風景としてもなかなかに魅力のあるものと思います。昔の「仁丹」のホーロー製の住所表示板が似合います。
誰とも知らぬ間に、路地が、お地蔵さんの祠とともに、ひっそりと現れる。"ヴァーマン通り"の陰鬱さと比べると、この物語の京都版はこんな、ほっこりとしたイメージになるのでしょうか。
