円~劉慈欣③

 「史記」の中でも、戦国の覇権を握らんとする秦王を暗殺すべく、燕の密命を帯びた荊軻の章は、実にドラマチックで、よく知られ、人気の高いところです。秦へと向かう荊軻が易水のほとりで悲壮な覚悟を詩句に詠むシーン、玉座の回りで繰り広げられる秦王と荊軻の息詰まるような死闘のシーンは、「漢字圏」である私たちにもお馴染みのものです。

 劉慈欣の「円」は、荊軻が巻物に忍ばせていた短剣を手にしようとするところから始まります。

 この作品の異世界では、荊軻は、あえて無謀な挙に出ることは避けます。たとえ秦王一人を倒せたとしても、訓練された精強な軍隊が残る限り、秦の脅威は変わらないことをわかっている荊軻は、秦王に取り入り、王だけでなく兵をも一挙に無力化してしまう遠大な作戦を秘めていました。

 荊軻は、数々の有益な発明・工夫により軍事力の向上に貢献し、首尾よく秦王の信頼を得ます。そして、生死をも含めた世の理のすべてを知ろうとする秦王に、荊軻は、完全無欠な図形である円の円周率の数字の中にこそ必ず隠されているはずと言い、その計算のためには、300万人もの兵士を使うことが必要と提示するのですが…。

 

 まさに人海戦術の極致のような計算方法は途方もなく、バカバカしくも大陸的なスケールのでかさは、中国らしいといいましょうか、量数の力業で難題を突破するという強引さの魅力があります。

 兵士3人一組で、論理演算4種を手旗信号で実施するのですが、トータル300万人、100万組にも上る、5キロ四方に広がるこの論理回路は、いったいどのくらいの性能を有しているのか、とんと、この手の原理に疎い私にはピンと来ないのが悔しいですね。

 「謎SF」にも、コンピューター内に住む蟻の群れが「活躍」する「マーおばさん」という作品がありますが、原始的なものであっても数で勝負というのは、中国の読者には、どこか共感できる発想なのかな。

 中国の歴史には、粛清やジェノサイドが多く伝えられていますが、無慈悲で酷薄な仕打ちに対する達観めいたものも、この作品の特徴であると思います。演算を間違えた兵士の処刑、無防備な秦兵を殲滅しつくす光景、大功を遂げたはずの荊軻の処遇には、異世界の物語とはいえ、歴史的既視感がありましたね。吉川英治三国志を読んでいるかのような感じがしました。

 ところで、この作品は、荊軻の生み出したコンピューターへの道筋があえなく消し去られてしまうことに対して、どのようなスタンスをとっているのでしょうか。

 時代に早すぎる技術は受け入れられないのは宿命ということか。ノーベル賞作家のウィリアム・ゴールディングのSF?短編「特命使節」も、画期的な技術革新に対する為政者の態度がテーマとなっています。悠揚迫らぬギリシャ世界の描き方は、「円」と対比すると面白いです。