「シリウス」その①~オラフ・ステープルドン

 明けましておめでとうございます。
 本年もよろしくお願いします。

 さて,本年は,戌年ということで,犬にまつわるSF短編をと思ったのですが,定番たるエリスンの「少年と犬」は,正月にはふさわしくありまへんので,少々宗旨替えをし,長編の犬SFでいきたいと思います。

 ということで,本編は,ステープルドン晩年の名作。

 「シリウス」とは,人為的に知能を高められた犬の名前です。
 
 偉大な科学者トマス・トレローンは,哺乳動物の脳皮質の成育を促す研究を行っていたが,ボーダー・コリーとアルセイシアンの血を引く極めて知能の高い牧羊犬を創り出し,家族を連れて,ウェールズの牧羊地帯へとやってくる。

 牧羊犬たちのなかでも,とりわけ大きな頭脳をもったシリウスに,トマスは大きな可能性を見てとり,妻エリザベスを説得し,赤ん坊の娘プラクシーとシリウスとを,彼らの子供として,全く同じように育てるという計画を実行したのである。

 シリウスは,プラクシーとともに育ち,手を使えない,うまく言葉を発せられないというハンディを負いつつも,言葉を覚え,字を覚えていく。

 また,プラクシーも,不思議な「人間的でない」魅力も有する,美しい娘と育っていったのである。

 シリウスは,人間と同等以上の知性を有しながらも人間にはなれず,かといって,時には犬としての本能のままに行動しつつも犬にもなれない。

 プラクシーも同様だ。
 人間でありながら,シリウスとの余りにも濃い精神的結びつきゆえに,恋人とのかかわりでさえ,心の奥底までわかちあえる全面的なものとはなれないのだ。

 それは,極端に言えば,シリウスの牝犬に対する情動と似たようなものなのだ。

 お互いこそ,心底わかりあえる唯一の存在。

 だが,プラクシーは人間である。人間の世界に居場所を得ることは可能だ。

 しかし,シリウスは,知性を捨てずしては,犬の世界に生きるのでない限り,この世に居場所がないのだ。
 シリウスの孤独はいかばかりか。

 彼が,人間,そしてわが身に対して絶望し怒りを覚えるとき,犬としての野性が噴き出てくるのである。


 さて,ストーリーは,プラクシーを主に,トマス・エリザベス・牧場主のピューたち,様々な人々との関わりあいを軸に,幼年期,牧羊犬時代,ケンブリッジでの生活,農園の経営…と,場面を変え,時の経過を追いながら,最後の悲劇へと進んでいく。

 このような結末に至るのが必然だと思わせる展開・構成も,無理なく見事である。
 
 トマスとエリザベスの死後,いっときの間,ピューの農園で,シリウスとプラクシーがともに暮らすおだやかな日々が訪れるが,このような人間と犬との関係が,そのまま世間に受け入れられるはずもない。

 おりしも,第二次大戦の嵐の最中,不安に心もすさむ人々には,異質なるものを憎む魔女狩り的心境が次第にあらわとなり,挑発に対するシリウスの反抗が,だんだん野性を剥き出しにしていくことで,事態は,一層悪化していくのである。

 ついに銃弾を受け死にゆくシリウスに,プラクシーは,歌を捧げる。
 シリウスが歌っていた,人と犬の感性が融合した独特の不思議な美しい歌。

 まさに,シリウスへの挽歌である。
 朝焼けに赤く染まり横たわるシリウス。哀しくも本当に美しいラストシーンである。


 時代背景もあるのだろうが,全編を通じる冷徹で沈鬱なトーンが,なんとも,よろしい。

 風土的にも,荒涼たる感が,物語によくマッチしていると思う。
 ふとホームズの「バスカヴィル家の犬」の風景を連想したが,スコットランドと本作品のウェールズとは,気候風土が異なるのかもしれないが,翳りが共通しているように感じる。

(続く)