「花の名前」~ケイト・ウィルヘルム②

 サッシー・フランシー:ユキノシタ科:ときにマザー・オブ・サウザンドとよばれる
 
 仕事も一段落し、久々の休暇をニューイングランドで楽しんでいたウィンストン。愛車のサンダーバードを駆って、気ままな旅を続ける途中、アトランティック・シティを訪れたウィンは、海岸縁で、見知らぬ少女からアイスクリームをせがまれます。そして、翌日も、防潮堤で、同じ少女が現れ、会話を交わすことになります。
 
 モーテルに戻ったウィンのところに、FBIの調査官カーシュがやってきます。ミリケンという富豪の孫娘が行方不明となっている事件の捜査の網に、ウィンに声をかけてきた少女が浮かび、カーシュは、少女が再び現れる機会をとらえようと、ウィンに、シティに留まり、協力することを求めます。
 
 少女の足取りを追ってきたFBIは、これまでの目撃記録、事情聴取から、少女の成長が異様に早いことをつかんでおり、少女の安全を守るということだけではなく、変異が広がることを防ぐとともに、変異を研究することで得られる成果を独占しようと、少女の身柄を確保しようと躍起となっています。
 
 少女を自由の身にすることを決意したウィンは、シティを検問で封鎖し、大掛かりな捜索を始めているFBIを出し抜いて、少女を旧知のベットおばさんに預けることにしたのですが・・・。
 
 いわゆる「ミュータント」もののお話で、異質な「種」として生まれてきた少女が、人間社会に身を潜めながら、苦労を重ねて、知恵と経験を積み、何とか「理解者」を頼りながら(利用しながら)生きていく姿を描きます。
 過酷な境遇にも、泣き言を言わず、たくましく、したたかに生きる少女の宿命が、哀切かつ痛切です。
 
 「ミュータント」の孤独と苦難を描くものは数知れずありますが、この物語は、変異の斬新さで勝負したり、変異が人間社会に及ぼす影響を壮大に描くという方法は取りません。
 もちろん、SFとして、そのような大きな視点は背景としつつも、あくまでも、登場人物の行動と心の動きを細やかにたどる「パーソナル」な視点で語られます。
 
 ストーリー・テラーであるウィルヘルムの、そのへんの料理の仕方はさすがに上手いものです。
 本来の愛情深さを表立っては出さず、人との深い関わりを避けてきたウィンに、少女の種の存続が託されることになる、シニカルな展開。
 また、急速に成熟した少女とウィンとの関係を、単に、惚れたはれたとは異なる冷徹な視線で描いているのも見事です。
 
 こうしてみると、フィリップ・ホセ・ファーマーの「恋人たち」とも共通するところがあると思いますね。「種」の生存のためには我が身も犠牲にする、生物の本能の強靭さと、哀しさも。
 
 出会いから、逃避行、再会、別れ、新生という、なかなかに鉄板のドラマティックな構成に加えて、暗示的・象徴的な表現が実に巧みです。
「彼女が近づいてきても、この気候ですから、アイスクリームはねだらないでしょうが、ホットチョコレートをねだるかもしれません。今日はホットチョコレート、明日はコーラ、あさってはマティーニでしょうか?」 
 
 さらに、時折、ドキッとするような直截な表現が牙をむくのもいいですね。
 
 包囲網からの脱出に力を貸してくれるウィンの親友のジョーイ、少女を匿ってくれたベットおばさんなど、脇役も魅力的です。
 
 この作品は、「F&SF誌」1993年2月号に掲載され、「SFマガジン1994年9月号」に、増田まもる氏により訳載されました。
 ネビュラ賞候補作であり、「SFマガジン読者賞」海外短編部門の2位(受賞は、テッド・チャンの「理解」)に入っていることから、読者の評価も高かったのですが、埋もれた作品となっています。
 ウィルヘルムの長編は、代表作「鳥の歌いまは絶え」が創元からめでたく復刊がなり、短編については、2016年にアトリエサード(書苑新社)から、初期の著名な短編を主に編まれた「翼のジェニー」が出ていますが、それ以外の作品は、SFマガジンをはじめ、雑誌やアンソロジーに分散して掲載されています。
 ネビュラ賞を受賞した「計画する人」(NW-SF社の「ザ・ベスト・フロム・オービット (上))、「アンナへの手紙」(日本版オムニ)などは、とりわけ入手しづらく、どこかで読む機会が出てほしいなと思っています。