「もしもグレゴリウス教皇が、人々の心の中の時間を調整しなくてはならないという知識を啓示で受けていたならどうじゃ?
もしも一五八二年の余計な時間が十一日と一時間だったらどうじゃ?
もしその十一日は対処してきちんと消し去ったが、残った一時間がすべりぬけて解き放たれ、永遠にはねまわり続けていたらどうじゃ?
ごく特別な一時間・・・決して使ってはならぬ一時間・・・決して過ぎてはならぬ一時間。もしもそうならどうじゃ?」
亡妻の墓を訪れ、語りかける、ガスパールという名の老人。この老人を襲おうとしたチンピラ連中を蹴散らした、ベトナム帰りの黒人のビリー。ガスパールは、ビリーの家に身を寄せ、二人は共同生活を始めます。
常に愛妻のことを忘れないガスパールは、老い先短い中で、自分が死ぬことで、この世界から妻の記憶が消え去ることを恐れています。
一方で、ビリーは、戦地で、ビリーの身代わりとなって銃弾の嵐にズタズタになった、見ず知らずの兵士に対する罪悪感に苛まれています。
ビリーが、ガスパールの愛妻の思い出、あらゆる思いを、代わりに覚えておいてやろうとした時から、ガスパールは、ビリーを見込み、時間の守護者としての役目を、ビリーに引き継ぐことを考えます。それは、特別な一時間を守ることで、この世が「虚無」の世界に陥ることから守るために引き継がれてきた使命なのです。
16世紀に、教皇グレゴリウス十三世が、「ユリウス暦」から「グレゴリウス暦」に変更したときには、1太陽年からのずれの蓄積が、10日を超えていたため、1582年10月4日の翌日を15日としたようです。
日本では、明治5年(1872年)12月2日の翌日を、明治6年1月1日とする、結構、荒っぽい改正が行われました。こんな時に遭遇した人々は、なんか、時間が盗まれてしまったような感覚に陥ったことだろうと思いますね。
このような、心の「空白」の時間に着目したと思われる、面白いストーリーです。
守護者の証となる、「時計」は、守護者にしか手に取ることができません。ガスパールからの最後のテストもクリアしたビリーのもとに、「時計」が引き継がれていきますが、ガスパールは、死の間際に、その1時間のうちの1分間を、ある目的のために使います。
孤独から、分かち合いと、救済へ至る、ややベタではありますが、カタルシスを得ることができる、なかなかに感動的な物語となっています。
「果てしなく宇宙の中で叫ぶ嵐のように、時は征服者と平民を分け隔てすることなく、名前や功績を運び去る。
そして我々の存在すべて、残るものすべては、我々がこちらへ一瞬だけやってきたことを気にかける人々の記憶の中にある。」
2018年6月にこの世を去ったエリスン。このフレーズは、心に沁みます。
