「人生がどんなに長くても、あるいは短くても、ものごとには一度だけでじゅうぶんすばらしいこともあるわ。おやすみなさい、わたしのスロウボート・マン。おやすみなさい」
永い時を生きる吸血鬼の女性が、ただ一人愛した男性との出会いと別れを描き、小品ながら、ノスタルジックで愛おしく、心に残る作品です。
彼女は、幾たびの旅の途中、ミシシッピー川を運航する昔風の汽船の中で、水兵のジョニーと運命的に出会います。
この船旅がいつまでも続けばと望む彼女に、ジョニーは、どんな手を使ったのか、一日だけ航行を延ばしてくれます。以来、彼女は、ジョニーのことを「スロウボート・マン」との愛称で呼んでいます。
幸せに暮らしていた二人ですが、一人だけ年を取らない彼女に、周囲の人々が次第に訝しく感じるようになります。彼女の素性について、一切詮索をしなかったジョニーですが、潮時と察した彼女は、何も言わずにジョニーのもとから立ち去ります。
それから長い年月が流れ、老人ホームで死を待つばかりのジョニーのところに、彼女が昔と変わらぬ姿で現れます。
老いない者と通常人との「永遠の愛」を真正面に描いた定番的なストーリーですが、この手の話は苦手な私でも、素直に読めたのは、センチメンタルになりすぎず、適度にビターな味わいで、深い心のつながりをコンパクトに語る余韻のある作品であるからだと思います。
全く、突拍子のない話なのですが、この作品を読むと、アニメ「おじゃ魔女ドレミどっかーん」の第40話「魔女になれなかった魔女」を思い起こします。
2002年の放送で、当時、まだ小さかった子どもたちの子守がてら一緒に見ていたのですが、幼い子供向けとは思えない、群を抜く完成度の高さに思わず見入ってしまいました。ゲストとして登場する、ガラス細工職人の魔女の声を、原田知世が担当していたのも印象的でした。
また、不変ではないが変化に長い時の経過を要する魅惑的な素材である「ガラス」が、この魔女を象徴的に表しているようでした。
アニメでは、この魔女は、90歳になるヴェネツィアのガラス細工職人のもとへと赴こうとします。実は、この職人は、若かりしころ、彼女が技を手ほどきした当人であり、互いに恋心もあった?のですが、老齢となった彼は、彼女の孫がやってくるものだと思っています。
子供向けの番組ということは理解しつつも、私としては、唯一、ここのくだりだけが、無理があって惜しいなあと思っていました。
この職人が、彼女の「スロウボート・マン」で、最後の別れに会いに行くという設定で描いてくれたらなと。
子供向けとしては、さすがにそぐわないですかね。
SFマガジン1999年10月号は、「アルジャーノンに捧げる物語」という特集を組んでおり、この作品以外にも、マクディヴィッドのしみじみとした逸品「標準ローソク」 、知能と運動機能が次第に失われていく病が蔓延した後、その進行を防ぐ措置を施された子供たちがロボットのように商品化されてしまう世界から逃れる母娘を描く、メアリー・スーン・リーの「引き潮」など、なかなかの作品がそろう充実号です。
