変革のとき~ジョアンナ・ラス

 あのメッセージが送られてきたときユキは車の中にひとりでいて、ツー・トン式の信号を一生懸命解読したのだった。

 ノッポで派手なわが娘は車からとびだしてありったけの声で叫んだのだった。だからむろん彼女もいっしょに来なければならなかった。

 このコロニーが築かれてから、このコロニーが打ち捨てられてから、その覚悟は理屈の上ではできていたが、現実となるとちがってくる。実に怖ろしいことだ。

「男よ!」ユキは車のドアをとびこえながら、叫んだのだった。
「戻ってきたのよ!本物の地球人の男が!」


 植民惑星「ホワイルアウェイ」では、600年前に、疫病により「男性」が死に絶え、残された「女性」たちは、生き抜くための苦難を何とか乗り越え、新しい、社会・経済システムを築こうとしていました。卵子同士を合体させるという手法によって、子孫を残すことができ、それによって、「家族」も構成されています。

 また、無理な工業化や競争による急激な発展は目指さず、自分たちのペースでいこうという、穏健な進歩主義がベースとなっている社会です。

 そんなところに、突如、着陸した、地球の男たち。暫しのショックから立ち直った彼らは、「固定的性別役割分担意識」は相変わらずで、「ホワイルアウェイ」は「男性」がいてこそ、当たり前の社会になると、自信満々に、当たり前の如く、住人たちに主張します。

 主人公は、彼ら「男性」の姿に動揺を覚え、また、ぞろ、かつての「男社会」に戻る恐れを抱きます。そして、自分たちの生き方・社会が、「男社会」の価値観から、「似非」の、珍奇な代替物的な扱いを受けてしまうようなことは、耐えがたいことであると。

 「フェミニズム」とSFという流れにおいて、先駆的な、高名な作品です。
 ハーラン・エリスン編の「Again,Dangerous Visions」(1972)に掲載された当時、「過激」な社会観に、非常に不快感を示した人もいたとのことですが、今となれば、それほど角の立ったものとは思えません。

 むしろ、主人公が、ようやく築いた社会が、「男性」によって覆されていくという「諦観」めいたものを持っているということが、印象的です。

 72年当時の社会においては、フェミニズムを主張するような人は、相当にバッシングを受けていたのだろうし、常に、圧殺されそうな不安を抱えていたのかもしれません。そういう状況に対する、やるせない気持ちが、このような悲観的な設定につながったのだとすれば、同じ思いを持つ人の強い共感を受けたものと想像できます。

 なお、よく似たストーリーは、「ヒューストン、ヒューストン、聞こえるか?」(1976)ですが、こちらは、「男らしさ」をかなり「戯画化」して突き放しているし、「男らしさ」の価値観の影響度もないものとして描かれている点が相違すると思います。 
 時代と作風の差といえばそうかもしれませんが、比べて読むと面白いです。