「彼はジョイスティックに手をのばした。まず右へ、ついで上へスティックを動かすと、未来飛行船がガクンとかたむき、急角度で上昇した。
つぎの瞬間、デ・クルイフがシートベルトを外しにかかった。立ち上がると同時にアンビリカルコードを引き抜く。それから船室の後部にのしのしと歩いていった。
ティーシュンは彼を目で追った。デ・クルイフは動くにつれ、背後に自分自身を残していく。デ・クルイフの連続したかたまりが背後に列をなし、ゆっくりと消えていった。」
ティーシュンはカルコフ要塞都市に勤める技術者。
世界は、ヨーロッパ極とアジア極との限定核戦争も辞さない戦闘状況が続いており、確実な勝利をつかむ方法の一つとして、ティーシュンの属する陣営のリーダーは、タイムマシンにより、未来を変えることに期待を寄せている。
ティーシュンは、未来飛行船に搭乗することを志願し、デ・クルイフとともに未来へと出発する。
ティーシュンの本当の目的は、自分の「文系」の息子が、陣営に役立つ技術者として「一人前」になれるように、その未来も変えたいということだったのである。
のっけから、「等冪性」という、ものものしい言葉が出てきてとまどいますが、未来は、どんなことをしようが、結果的に同じ結果になるということと理解しました。
もちろん、ティーシュンたちは、未来が変えられることを確認するための実験を行ったわけですが、そうではなかったことを知ってしまいます。
多元的な世界観とは違って、単一の道筋しかなく、「終わり」に向かって一直線、何も変えることはできないという、絶望感と閉塞感にあふれた、グルーミーなお話となっています。
息子をティーシュンの望む進路につかせようと息子の気持ちを無視して無理をし、悲惨な結末を生んでしまった、その結果も変えることはできないという、罪悪感にも苛まされるという、何重にもつらい話です。
正直、よくわからない「理論」があり、ベイリーさんは、いろいろと例えを用いて、説明しようとしてくれていますが、何のことやらよく分からないというのが本当のところです。
出鱈目を、わかったように煙に巻くだけというのならよいのですが、なんかそれなりに真理を探究しているところがあるかもしれないと思うと、すべて理解せず読み飛ばすのは、すごくベイリーさんに悪いという気もしますね。
でも、ど「文系」の私には、冒頭に抜き書きしたような場面は、ちょっと馬鹿馬鹿しくて、こういう真面目なおバカ具合が、楽しめるところであります。
未来が変えられないのは、人類が未来にしでかした何事かによって、そこで先を封印されちゃって、過去にまでさかのぼって「人類史」が凍結されてしまったという発想はおもしろいと思ったが、そんなことをやった超然とした存在は何なのか、何も語られてはおりません。
SFマガジンに掲載時は「彼岸への旅」というタイトルにされていましたが、欲や煩悩から解放された世界と、ティーシュンが体験した彼方の世界とはまるで違うので、短編集採録の際に「死の船」と変更されたのかもしれません。
思うに、超越者たる神様(仏様?)が、人類の罪のために未来を封印したのだとしたら、「彼岸への旅」の方が、強烈な皮肉となるインパクトあるタイトルであるかもしれません。慈悲深い仏さまは、そんなことはしないかな。
