永夏の夢~夏笳①

「おまえはかつてこう言った。

 あなたの時間は長すぎる。わたしの時間は短すぎる。だからわたしはあなたのそばに長くはいられない。わたしはいつか死ぬだろう。あなたはまだ生きていて、永遠に生き続ける。最後にはわたしを忘れてしまう。忘れられるのは死よりもなお恐ろしい、と。

 さらにこうも言った。

 わたしがタイムラインでジャンプし続ければ、時代ごとにわたしはあなたに会うことができる。わたしの生命がある限り、この歳月の一つひとつ、できるだけあなたに合おう、とも」

 時を自在に移ることのできる「旅行者」である夏萩。

 そして、永遠にも生きることのできる「永生者」である姜烈山。

 「旅行者」たる存在も、「永生者」たる存在も、人知れず、人の世に溶け込みながら、「旅行者」は気に入った時代にひととき住み着き、あるとき突如消息を絶ち、「永生者」は世の進歩に手を貸しつつ、いくつもの伝説を残しながら、繰り返し、違う人としての人生を過ごしていく。

 本来は、相容れぬ存在として、敵対する関係であるのだが、夏萩と姜烈山は、互いに惹かれ合う。

 「永生者」の時の流れは、過去から未来へと一方通行の永い「線」を辿るが、「旅行者」は限られた一生の時間の中で、「線」の一部分を、過去・未来に関わらず、「ジャンプ」して生きることができる。

 夏萩と姜烈山は、2002年の夏の出会いから、前4000年、春秋時代北魏の時代、そして、地球滅亡を迎える日と、夏萩のジャンプごとに、「断続的」に、それぞれの出会いを重ねるのである。

 「旅行者」、「永生者」それぞれは、よくある設定であるが、両方を同時に物語に織り込み、恋愛関係と絡ませるのは、すれ違いのもどかしさを巧みに表現できる上手い設定であると思います。

 そして、「旅行者」の持つ時間が永遠ではないこと、また何よりも、地球上から脱出するジャンプはできないという設定にしていることが、物語のキモであり、切なさを胸に迫るものとしていると思います。

 「永生者」については、踊る鹿の洞窟~クリフォード・D・シマック①のリュイスの哀感を、「旅行者」については、スター・ピット~サミュエル・R・ディレイニー①のやるせなさを思い起こさせます。

 黄河文明期から、地球からの脱出までの永い、巨視的な人の歴史の流れを背景に、パーソナルな二人の関係に焦点を当て、最後の別れの瞬間をピークに、鮮烈に出会いのエピソードをつなぐ、きれいな構成の作品です。

 ノスタルジーと、ビタースイートな味わいもありの、さすがに、この「移動迷宮 中国史SF短篇集」の掉尾を飾るにふさわしい作品であると思います。私は、結構、この手の技巧的な感傷ものには、ころりとまいってしまいますね。

 ところで、夏萩は、将来を知った後、過去を訪れ、姜烈山にそのことを話してしまったら、この物語はうまくいかないのではないのかな。

 姜烈山は長生きすぎるため、いろいろと忘れてしまうとのことだけど、これだけのエピソードはそうそう忘れるものではないことは気になりましたね。

 「旅行者」によって、未来を変えられたらたまらんということで、「永生者」が「旅行者」と敵対しているという設定は理解できるけれど、「永生者」のやや痴呆症気味の理屈付け以外のことが欲しかったですね。