昨年(2004年)の創元の復刊フェアで復活した「ウィリアム・テン短編集」の1に収録。
1973年初版で,2004年10月:4版と,あんまり売れていませんよねえ(2などは,初版以来30年ぶりの再刊!)。よく復刊していただきました。
核戦争後の放射能による変異の世界において,「正常」な物事に対する国民のあこがれが,ウィスコンシン州に住むジョージ・アブニーゴーという,統計学的に,完全に平均値的な市民を,一躍,大統領にまで押し上げることになったのである。
彼は,可能な限り決定を下すことを避け,やむをえないときは前例に則した。
平均化と安定化という大いなる平穏の日々,次第に人類は,中間点に向かって進んでいき,ホモ・サピエンスとは異なり,"ホモ・アブニガス"と名づけられた人種へと変容していった。
やがて石油・石炭を使い果たした彼らは,再び森へと帰り,25万年が経過した後,進化したリトリーヴァー犬族の支配を受け,棒を遠くに投げるだけの役割に品種改良されていくのである。
ついには,その役割ですら機械にとってかわられ,あわれ,人類は消滅という末路をたどるのである。
たった20ページばかりの短編ではあるが,同じ作者の「地球解放」と並んで,事なかれ主義の末路を強烈に皮肉った、強烈なインパクトを与える作品である。
事なかれ主義,リーダー不在の中庸主義の愚劣さを痛罵する筆致は,もはやブラック・ユーモアを超越しています。形式的平等主義の行き着く末を,よくぞここまでこっぴどく描いたものだと感心します。
かといって,いわゆる選良が,放射能で荒廃した世界を生み出したというのも事実であり,それも人類たるものの宿命として前進するのか,それとも放棄して,平和的に退嬰して別の種族となり滅び去ることを選ぶのか。いずれの道も厳しいですね。
陳腐ですが、よい作品というのは,普遍性を有することであると思います。
昨今のわが国は,持てる者,持たざる者の二極分化が進もうとしています。
また、教育の見直しなど,「非P」化を回避する動きへと,揺り戻しが起こっているといえよう。⇒2025年現在、教育現場の疲弊と劣化はより悪化しているように思います。
現状ではダメだと思うけれど,かといって今の流れが正解であるかどうか,本当には誰もわからないが,進むしかないのでしょう。
ところで,今更ながら,「非P」とは,論理学の話だろうけれど,どういう意味なんでしょう。
