若くならない男~フリッツ・ライバー④

 時間の逆行を扱った作品は数あれど,この作品は特に好きな作品です。

 世界の破局につながる究極の戦争のせとぎわで,信じられぬことに危機が後退し始めます。

 死者が墓場よりよみがえり,人類は,再びその歴史をさかのぼりはじめます。

 逆行それ自体の面白さもありますが,“忘却"に伴う寂寥というか,“無"にかえる虚無感という雰囲気が素敵であります。

 わたしたちの人生はすべて忘却と収束から成っている。子供が母親に吸い込まれるように,偉大な思想も天才の心にのみこまれてゆく。はじめ思想はいたるところにある。空気のようにわたしたちを包んでいる。つぎに,それは狭まりはじめる。知る人の数が減る。やがてひとりの大人物が現れ,それを自分のなかにとりこみ,秘密にしてしまう。あとには,何か価値あるものが失われたという,いらだたしい確信が残るだけ。わたしは,シェイクスピアが偉大な戯曲を書き消すのを見た。ソクラテスが偉大な思想を思い消すのを見た。キリストが偉大な言葉を言い消すのを見た。

 長々と引用してしまいましたが,この部分が一番好きなフレーズです。

 インディアンが,アステカ族が,侵入者を追い出し,ローマ,ギリシャの栄光も彼方に去っていきます。

 ただ,静謐な石の文明であるエジプトは残るかもしれないと感じましたが、やがて消え去ります。
 文明が残るうちに,時間の転回点は変わるのか?

 悠久のエジプトも,遊牧の民の落ち着かぬ動きへととってかわられました。

 私の愛するマオットも若さに輝いています。最後の甘美なキスを終え,いつか,砂漠に彼女を捨て,そして彼女の母親が彼女を見つけることになるのでしょうか。

 放浪を続ける主人公。
 旅路の果てはないのだろうか。

 シンプルなお話なんだけれど,妙に心が揺さぶられますね。
 ライバーらしからず,あんまりペダンティックでないため,素直に読めますしね。

 シマックの「踊る鹿の洞窟」は,2万年を生き抜いてきた男を描くが,本作品の主人公との時間の流れは異なれど,他の人と同じスパンの時間を共有できない者どうしの深い孤独がよく似ております。

 新潮文庫タイム・トラベラー」収録。伊藤典夫氏訳。

 こちらにも、新たに収録されました。