死ぬ権利~アレクサンダー・ジャプロコフ

 原題「Livimg Will」とは,「尊厳死宣言」のこと。

 主人公ローマンは,コンピューターに,自分に関するあらゆることを伝え,コンピューターは,無尽蔵のデータ・ベースをバックに,ローマンの伝える情報とその背景となる可能な限りのデータを読み取り,蓄積・統合させ,次第に,主人公と同じ考え方をする,分身の人格を形成しています。

 ローマンは,アルツハイマー症による避けられない痴呆化に対して,正しい判断ができる自分を残しておきたかったのです。
 
 病状の進行につれ,喪失と被害妄想にまみれ,妻のアビゲイルに,苦しみを与えるローマン。

 かつての幸せな日々が霞み,彼に対する思い出は,このつらい現実に覆いつくされてしまうでしょう。

 ついにある日,コンピューターのローマンが,ローマンに最後の指示を出すことになります。

 
 痴呆に係る尊厳死の問題を鋭くえぐった好短編ですが,議論は分かれるところでしょうね。

 本人の事前の意思により,殊更の延命治療を拒否する権利は当然のこと。
 しかし,痴呆についてはどうでしょう。
 
 「一定以上の症状が進めば,命を絶ってください」と人に頼むこともできない。
 かといって,自分で始末をつけるほどの意思力が残っているのかどうかもあやしい。
 
 その意味では,自らは判断できなくとも,本来の自分であれば決断したであろうことを実行したローマンは,納得していたには違いないでしょう。

 コンピューターの人格の方が,本来の自分ということが,皮肉ではありますが。

 この記事を書いたときは、19年前で、まだ壮年でしたが、今や私も60歳を超えてしまい、人や物の名が出てこず、短期記憶がひどく衰えたと自覚しております。

 こういう認知系のお話になると、他人ごとではなく、身につまされるという感じですね。

 さて,この作品ではローマンのコンピューター内の人格は,ローマン本体が亡くなると消去されるのですが,もしも消去されなければどうなるのでしょうか。

 確か,ゼヴロウスキーの作品だったと記憶していますが,死後もヴァーチャルな生を選択した父親が,現実感を得たいがため,さらに人工体への転写を望んだところ,完全移行できずに,二つの人格の父親が現れるという,悪夢のような短編がありました。

 また、オースン・スコット・カードは、脳情報の転写の技術によって、若きクローンへと次々と乗り換えていく男の、乗り換えられた後の残骸のようなクローンの末路を無慈悲に描く「肥育園」という強烈な作品があります。

 ここらへん,気味の悪いヴァリエーションは,色々あるでしょうね。

 「死ぬ権利」は,扶桑社ミステリー「ハッカー/13の事件」に収録。