犬が感染したら致命的な「新型パルボウィルス」。
突如変異して生まれたこのウィルスは、ワクチンが間に合わず、保護繁殖もうまく進まない中、第2陣、第3陣と猛威を振るい、あっという間に、この世から犬が消え去ってしまいました。
そんなある日、カメラマン兼記者のマコームは、取材先に向けて、タンカーウェイを走行中、ジャッカルの轢死体を見つけます。
野生動物が希少となったこの時代、市民の動物愛護義務が強力に課せられており、強大な組織と化した「動物愛護協会」は、違反者を摘発し、処罰できる権限を持っています。
マコームは、ジャッカルのひき逃げを協会に報告しますが、協会は、その犯人捜しのため、マコームの足取りをたどり、関連捜査を進めていきます。
疑われそうなのは、マコームの取材先であった老夫婦と、協会との接触の後にマコームが会いに行ったケイティという女性。
老夫婦は、唯一残る(と称する)最後のキャンピング・カー「ウィネベーゴ」で、車上生活を続け、それを見世物にして日銭を稼いでいます。
資源の乏しくなったご時世で、こんなRVはとっくに使用禁止となっており、ハイウェイからは締め出され、もはや車も夫婦も、取り残された時代の遺物といった感じです。
そして、ケイティは、20年前に、マコームが飼っていた、生き残りの貴重な犬「アバヴァン」を、不可抗力で轢いてしまい、今も罪の意識にとらわれています。
ケイティ、そして老夫婦に、ジャッカルの事故の責任が及ぶことを阻止しようと、マコームは、写真データの隠滅を図ろうとするのですが。
この作品は、ヒューゴー、ネビュラ両賞受賞、3種類の年間傑作選に選ばれており、大森望氏も、ウィリスのシリアス系の中・短編の中での最高傑作と評価されています。
ウィリスだけに、筆運びが達者で、一見、リーダビリティが高そうな印象なのですが、いやいや、きちんと腰を据えて読むことを求める、意外に骨が折れる作品だと思いますね。
物語世界の背景状況が、クリアに示されないまま物語が始まるため、会話などで断片的に触れられる情報から類推していくしかないことや、そうしても、たとえば協会がなぜこれほどの権力を有しているのかがよくわからないことなど、何やら「もやもや感」がつきまとうのを辛抱しなければなりません。
そして、優れて技巧的と称されるのでしょうが、たびたび場所や時制が異なるシーンが、ストーリーに、しれっと挿入されるので、思考の流れが混乱、中断してしまうんですね。
SF好きには、わかりやすすぎる作品だと物足りない読者も多いだけに、この程度の難度は、ちょうど良い加減のスパイスなのかもしれませんが。
私は、一読で全容を理解できるほどの読み手ではないので、何回も繰り返して読まなければならず、ある程度理解するのに、疲れてしまったところもあります。
しかし、(苦労してでも)読み進めると、確かに、感動的なエンディングを味わうことができます。
この物語は、かつて我々が親しみ、馴染んだものが消え去ることを悼むお話です。
変異ウィルスにより絶滅した犬はもちろんですが、老夫婦のウィネベーゴ、マコームの「手撮り」のカメラは、時代遅れとなって役割を終え、同時に、彼らの暮らしも変わらざるを得なくなっています。
でも、心得ているウィリスさんは、下手にノスタルジーに訴えて、感傷的に描くことなどしません。時折、感情が表に出るシーンもありますが、基本的なトーンは、シニカルであり、ユーモアも痛烈です。
「ウィニーと旅に出てもう二十年近くんなる。買ったのは1992年、場所はこいつが製造されたアイオワ州フォレスト・シティだ。女房は、旅に出るのは気が進まんと言って買うのを渋ったが、いまじゃこいつと別れたくないと言ってるのは女房の方だ」
老人は得意の口上を述べはじめている。開けっぴろげで親しげな、隠すことなんかなにもないという表情が、すべてを隠していた。スチールを撮っても無駄だ。
こういう突き放したようなドライなトーンも、数行に凝縮されたウェットなラストシーンとのコントラストの効果を高めています。
犬好きでない私ですら、なるほどと思えるラストなので、犬を愛している方にとっては、我がことのように胸を衝かれるでしょうね。
なぜ、マコームが何度も「犬には表情がない」という奇妙な念押しをしていたのか、なぜマコームがケイティに会いにいこうとしたのか、腑に落ちるラストとなっています。
一瞬をとらえたベストショットが、手撮りのフィルムカメラではなく、マコームが使いたがらなかった最新鋭の自動カメラであったことも、「アバヴァン」の死とも関わって、苦くも深い余韻を添えています。
