時のいたみ~バート・K・ファイラー

 フレッチャーの顔は,十年は年老いていた。
 その失われた十年間がほとんどすべて肉体を鍛えることに捧げられたにちがいない。
 だが,何のために?
 そして,なぜ,この特別の朝に戻ってくることに決めたのか?


 フレッチャーは,八月のある朝,十年先の未来から戻ってきます。

 「中央時間局」の規制により,時間的混乱とパラドックスを避けるため,過去に戻ることを望む人間は,未来の記憶を完全に消されてしまっています。

 小児マヒにより脚の不自由な若い男であったフレッチャーは,たくましい中年の男として戻ってきました。

 ただ,フレッチャーにも,その理由はわかりません。
 まして,最愛の妻サリーには,もちろんのこと。

 そんなある日,彼らは,湖岸のサイクリングに出かけます。

 切り立った崖からハドスン河をのぞむ絶景の地で,サリーは白い花を摘んでいます。と,突然,サリーの足が視界から消え,悲鳴を上げ,中空で身をよじりながら,必死に芝生を両手でつかみます。

 後はおわかりの展開です。

 「フレッチ,一度目にあの事故に出会ったとき,思うんだけれど,私,落ちたのね?」
 フレッチャーはうなずいた。

 「昔のままでは」ぼくには君を救ってやることができない。彼は,自分の足のギブスに目をおとした。

 「ぼくの十年間,すべて君のもの。もう一度だって,やるつもりだ」

 いやあ,かっこいいじゃあありませんか。

 こういうことをはっきりといえる相手がいますでしょうか。

 子どもならもちろんそうするでしょうし,嫁さんも,まあ、もちろんそうでしょう、と思います。

 こう書いてしまうと,歯の浮いたストーリーかと誤解される方もおられましょうが,トーンは渋いですよ。

 中年にとって身にしみる,哀愁を帯びております。

 単にハッピーエンドで終わらないところも心憎いばかりです。

 過去の改変は最小限度で収束することを示しているのでしょうか。

 でも,フレッチャーの生きた証はしっかりと残りました。

 この作者,ほとんど謎の作家だそうですが,心に残るいい短編です。

 「SFマガジン」1977年1月号掲載。