「盲人は天才たりうるのではないか」と,クリータス・ジェファーソンが考えたときから,すべては始まりました。
かっこよさとは無縁の黒人青年クリータスは,盲目の娘エイミーと恋に落ちます。
彼女の素晴らしいバイオリン演奏を聴いたクリータスは,「脳は本来もっている能力を使いきれていないのではないか」と推測し,卓越した能力をその解明に注ぎ込むこととなります。
優秀な神経外科医となったクリータスは,エイミーに,視力回復のための手術を受けるように勧めます。
これが,クリータスの理論を確かめるための実験だったんですね。
「この人たちは,わたしの視力を回復させる気なんか最初からなかった。この手術は私の脳の未使用領域へのアクセスを可能にするために,大脳視覚野の通常の機能を改変することだけが目的だったのよ」
実験の結果,エイミーの脳の回路は幾何級数的に連なっていき,その知的レベルは,クリータスをも凌駕するほどになったのです。
それから10年もしないうちに,知的職業についている人々は二者択一を迫られるようになりました。
視力を失うか,仕事を失うか。
1995年度ヒューゴー賞,ローカス賞短編部門受賞作。
ややシニカルなユーモアをたたえつつ,コンパクトにまとめた好短編であると思います。
知的能力を増すために,肉体的代償を支払う。
筒井康隆の「こぶ天才」という話を思い出しました。
「こぶ天才」は,確か甲殻類のような地球外生命を背中におぶって寄生させることで,知的能力をアップさせる話でした。
本作品は,視力を犠牲にするという究極の選択を迫られるわけでありますが。
脳は,数%程度しか活用されていないので,使い倒しても大丈夫ということを聞いたことがありますが,いや,最近の物忘れの激しさや理解力の衰えは目を覆わんばかりの状態であり,そのわりに,脳を使用していない不精さも加わって,私の脳は休眠状態に陥っているのではないかと思われます。
されはさておき,この手の知的能力増進テーマは,否定的見地から語られることが多いと思うが,この作品では,クリータスの非道ともいえる振る舞いにもかかわらず,意外に淡々と描かれているのが特徴かと思います。
作者の変な押し付けがましさがない分,個人的には,読みやすかったというのが実感です。
「SFマガジン」 1996年1月号掲載。
