レイチェルという名のチンパンジー。
アーロン博士は,交通事故により亡くなった娘レイチェルの脳の電気的パターンを,チンパンジーに移植し,農園で二人静かに暮らしていたのである。
彼女を、世間の目に触れないようにしていた博士だが,ある日のこと急死してしまい,彼女は,捕まえられて,“繁殖用"として「霊長類研究センター」へと連れていかれてしまいます。
その彼女が,連れ合いを伴って,農場の我が家へと向かうまでを描く作品です。
レイチェルは,人間の娘としての人格と,チンパンジーとしての猿格?とを有しています。
作者は,思春期(発情期!)を迎えたレイチェルの,人間としての,また,チンパンジーとしての心の動きと行動とを,なかなか直截に描いており,“性衝動"を情緒をまじえることなく,淡々とというか,えらく即物的に書いていることには,やや違和感を覚える読者もいるのではないかなとも思います(私だけか?)。
レイチェルは,ジョンソンという名のオスのチンパンジーとともに脱走するのであるが,ジョンソンは,まあ,普通のチンパンジーであるため,逃避行は,レイチェルが主導します。
この顛末は,報道され,有名になるため,彼らを助けようとする人々も現れ,その援助もあって,レイチェルは,何とか,我が家へとたどり着くのですが,報道陣らが待ち構えるところに堂々と乗り込もうとするレイチェルのたくましく強い姿には,敬服するところはありますね。
それにひきかえ,ジョンソンが,ほとんど,お付の存在と化してしまっているのは,いかにも,この作家らしい取扱いということもいえますが。
1987年度のネビュラ,ローカス,スタージョン記念賞などを受賞しており,この年の代表的短編の一つです。
ちなみに,同年のネビュラ賞長編部門も,「落ちゆく女」で受賞しており、まさにパット・マーフィーの当たり年でした。
この作品は,定番的名作としての評価が定まっているようであるが,個人的には,正直なところどうかなと思うところもあります。
私としては,“性"に関しての情感の乏しい無機質な雰囲気がどうも苦手なんですね。
さらにいえば,人間としての意識を移植されながらも,チンパンジーとしての自我?に目覚め,前向きに生きていこうとする“感動的"結末よりも,引き裂かれた状態のまま運命に翻弄されてしまう悲劇的物語を読みたい私は,ただ、ひねくれすぎているのでしょうかね。
「SFマガジン」1989年1月号掲載。
