この時代,人類は,ようよう宇宙へと羽ばたき始め,遺伝子工学を駆使して肉体を改変する「工作者」と,肉体とハイテクの融合を目指す「機械主義者」の両陣営に別れて熾烈な闘争を繰り広げていました。
知的種族としては大先輩格である異星人「投資者」の協力を得て,サイモン・アフリール大尉博士がコンタクトしようとしていたのは,恒星ベテルギウスをめぐる数え切れないほどの小惑星の一つに進出している『群体』でした。
この『群体』は,巨大な「巣」を構築しており,まるで,蟻か、蜂のように,女王を中心として役割ごとに高度に機能分化した共生体を構成しています。
アフリールの目的は,この『群体』の各々の個体を動かすフェロモンの仕組みを解明すること。
これにより,『群体』を思いのままに操ることができれば,それは,「工作者」陣営に莫大な利益を約束するものであったのです。
スターリングの出世作として有名な作品(1982年)であります。
もう、発表から40年以上たち、サイバーパンク・ムーブメントの沸騰も懐かしくなりましたが、この作品は、今でもオールタイム・ベストに数えられる名作として、生き残っています。
「巣」の,極めて異質でグロテスクな光景,そして何と言っても,特別の場合に,“知性”という役割に特化して「巣」に生まれてくる存在とのご対面のシーンがスリリングで斬新です。
ベイリーに「知識の蜜蜂」という,ほとんど同じような世界を描く作品があります。
巣に寄生する他の生命体が出てくるところまでいっしょなんですが,ベイリーさんが「巣」の本質を探ろうとするものの視点に立っている(実に主観的であります)のに対して,スターリングさんは,特に人類に肩入れしているわけでなく,『群体』と同様に,人類に対してもその行動様式を興味を持って観察している(客観的であります)という感がいたします。
アフリールの不屈の闘争心というのは,ああヤンキー気質で、通俗的だなという気もするのですが。
ともかく、「タクラマカン」でもそうですが,スターリングさんは,有機的で異質な存在というのが大層好みなんでしょう。
スターリングは,あとがきで,熾烈な環境を生き抜いていく「工作者」及び「機械主義者」について,
これら“新人類”は“人間の魂”にたいしても,せいぜい実験室で使われるラットにあると仮定される“齧歯類の魂”程度にしか敬意を払わない。人間の精神や肉体はたんに鉄鉱石や収穫作物のような原料に過ぎないのだ
とアジっております。
良識的な基準という枠を飛び越してしまおうという、挑戦的な若々しさを感じますね。今から見れば、少し、イタくもありますが。
ハヤカワSF文庫「蝉の女王」に収録。
