人は見かけで判断するというが,これは他人がその人をどう思うかという問題。
では,“他人の顔”を移植された人間の人格は,その顔の影響下におかれてしまうのであろうか?
この短編は,チェコの青年整形外科医が,銀行強盗をはたらいた暗黒街のボス・ウルバンの依頼により,無私の気高い神父の“顔”を移植し,逃亡の手助けを行ったことから始まる転変を描く。
分け前の金を手元にウィーンに出たバルトスは,成功を収め,勤める病院の主任教授の美人の誉れ高い娘との婚約を結ぶまでにいたる。
ところが,“人格”の変わってしまったウルバンが,かつての仲間を当局に売るという始末で,バルトスの罪状が暴かれてしまうのだ。
逮捕を恐れたバルトスは,医師仲間のローゼンに,保存していたウルバンの顔を移植して,危地を脱しようとする。
首尾よく逃れたバルトスだが,邪悪な半生が刻み込まれた顔には,それに合う道しかない。
顔の導くまま,ひょんなことからナチの軍医となり,ドイツに占領されたウィーンへと戻る。今度は,権力を有する立場として・・・。
ネズヴァードバは,チャペックを継ぐチェコのSF作家として知られている。
数少ないが,邦訳されているものもあり,まだしもポピュラーな存在といえるでしょう。
この短編も,“顔”というものの役割を,“顔面移植”という仮定を用いて,じっくりと考察させてくれるすぐれた作品である。
その“顔”を受け入れてくれる人なり,階層なり,社会なりというものが,決まってくると。これは,顔に対する他人の見方という,受動的な原因によるものですよねえ。
もちろん,“顔”はもって生まれたものではあるが,そのような“顔”にしていくのも,その人の生き方による部分はあるのだが・・・。
ちょっと話はそれるが,整形手術を受けて,見違えるほど変わり自信をもったという人が,生き方も変わったという話はよく聞きますね。
物語は,バルトスとウルバンそれぞれの,“顔”の影響を強力に受けながらの,本来の自分とのせめぎあいを描く。ちょうど裏表の関係ですな。
政治的背景がわかれば,もっと厚みがわかるのでしょうが,そうでなくても読み応えのある作品です。
ネズヴァードバは,医学を修めたということだが,他人の顔型の仮面をつける「他人の顔」を書いた安部公房氏と同じですね。
「SFマガジン」1979年12月号掲載。
