南北戦争の記録写真で後世に名を残したマシュー・B・ブレーディー(1823~1896)を主人公に,彼を“未来”の戦場へと送り込み,その惨状を撮影させるというお話です。
ブレーディーは,肖像写真家として,名声を得ていた(リンカーン暗殺3日前の写真や,ペリー提督の肖像なども彼の撮影らしいですね。)のだが,戦争記録に全てをかけたすえ,破産し,失明という不遇の晩年を過ごしたということです。
そんな彼への作者の思いが,よく伝わる作品であります。
財産,命を懸けてまで撮った戦争写真。
人々は,その真価に気がつかず,国家は,非戦への影響を怖れ,ネガをお蔵入りさせてしまいます。
失意の彼のもとに,一人の女性が現れ,彼女が誘う戦場を撮影することを依頼します。
承諾した彼が訪れたのは,ヒロシマ,ソンミ村…。
彼は,すさまじい惨状におののきながらも,撮影を続けます。
彼を支えるのは,自ら選んだ道への信念,ゆるぎない妻ジュリアの献身,そして,時にふれて,夢の中に現れる,彼の膨大な写真を展示するギャラリーなのでした。
多分に“文学くさい”作品でありますが,なかなかの名作であると思います。
作品の価値が理解されず、ネガさえ政府の倉庫に眠るままという、苦悩と苛立ちのすえ、現実のブレーディーは,失意のうちに死んでいきましたが,作者は,ブレーディーの強い思いを,新たな物語に注ぎ込んだのでしょう。
盛況の“夢のギャラリー”に,若き日のジュリアがあらわれ,人々が彼の作品を賞賛する様子に誇らしげに微笑み,ブレーディーと手を携えて,二人ギャラリーから歩み出るラストシーンは,実に美しいです。
しかし,どうなんでしょう。ブレーディーは,戦争のもたらすものを人々の心に訴えることを一番の目的としていましたが、“夢のギャラリー”を訪れた未来の人々は,その芸術性を誉めそやします。
彼の時代の人々には理解されなかったことと比較すれば雲泥の差ではあるが,戦争の惨禍を伝える歴史的・警鐘的役割というよりも,どちらかといえば“芸術”ととらえられてしまう歯がゆさのようなもの,作者は,そこをどう考えたのでしょう。
未来の戦争では,全く痕跡を残さない静寂かつ強力な兵器の出現が示唆されています。
そうなることを防ぐためにも,戦争という愚行がもたらすものを,人々の記憶に焼き付けることが大切なのでしょうが,“芸術”と賞賛する人々の姿には,一抹の不安を感じさせます。
私は,自然災害の惨劇を見物に未来から時間旅行に来るという筋の,C.L.ムーアのヴィンテージ・シーズンとの共通性を感じました。
1992年ローカス賞ノヴェラ部門受賞作。
「SFマガジン」1993年1月号掲載。
