バッファローといっても,野牛のことではなく,アメリカ東海岸の工業都市のことです。
近代産業資本主義勃興期の,ポーランドからの移民で,職を転々としていた作者の父親を主人公としています。
彼は,大恐慌のとき,雇用促進政策の一つである市民資源保存団のキャンプで仕事をしていました。
物静かで読書好きの,恵まれない境遇からの脱却を望む若者でした。
彼は,H.G.ウェルズの愛読者でしたが,たまたまウェルズの視察来訪の際に,彼と話をできるチャンスが訪れたのです。
だが,未来を信じる青年としての,ウェルズとの夢の語らいを一気に冷やしてしまったものは何であったのでしょうか。
自らの著作がエドガー・ライス・バロウズのパルプ作品と同列としかとらえられていないというウェルズの喪失感と,主人公の言わずもがなのことをいったという居心地の悪さと,所詮ウェルズは異なる世界の住人だと思い知る挫折感は,読んでいてつらくなるものがあります。
ウェルズの社会主義的理想が現実と乖離し,晩年に至り思想家としては評価されなくなっていったとかいうことをもっと知っていれば(私は不勉強でよく知らないが),この作品の苦味は,より理解できるのでしょうね。
主人公も結局,生涯バッファローを出ることはありませんでした。
限界と幻滅という現実に,作者の深い共感がにじみ出ている大変に渋い渋い作品です。
1992年ローカス賞短編部門受賞作。
「SFマガジン 1993年1月号」掲載。
