人生の,今が最も幸せと思える瞬間をバックアップしておく。
将来,もう一度やり直したいと思ったときには,ファイルに記録されている,その瞬間に戻り,そこから再度スタートすることができる。
そんなシステムを利用できるとしたら…。
主人公は,車の衝突事故により,最愛の妻と息子を失ってしまいます。
彼は,非合法ながらも,バックアップ・システムを利用し,あの幸せな日々へと戻ろうとします。
ところが,ファイルは,完全なものではなかったのです。
「時間を巻き戻すことができたら」
誰もが望む願いを可能にしてくれるバックアップ・システム。
バックアップされた世界に戻るというのは,どういうものでしょう。
そこから始まる世界というのは,もしかして主人公の内的な仮想世界にすぎないのかもしれません。
本当に過去のある時点に戻れたものとしても、バックアップ・データが完全でなかった場合には,わずかな綻びであっても,本来ありうべきはずの姿から,次第に乖離してしまいます。
この作品では,その様を不気味に描いています。
しかも,悪い方向へとずれていくのだから,つらくて陰鬱な話となります。
なにか幸せの裏側に潜む,言い知れぬ不安,恐れが,じわじわと顕在化するような心理的な怖さを感じます。
また,バックアップ・システムに対する,批判的というか,後ろめたさというのか,そのような作者の思いが,こういうペシミスティックな結末に連なっているのかなと思います。
創元SF文庫「みんな行ってしまう」に収録。
この作品と「猫を描いた男」が印象に残りました。
全体として,SFというよりは,ダーク・ファンタジーの作品集だと思います。
余談ながら,オリジナルから,“More Tomorrow”という英国幻想文学大賞受賞作品がオミットされているらしいが,翻訳者の判断で,どうしても出来のいい作品とは思えなかったから(ほかに,インターネットのニュースグループという,日本ではいささかマイナーなメディアを題材としているという理由)とされています。
こう,書かれると,かえって読みたくなるのが人の常ですね。
