クレイジー・エイリスの目には,この町の現実の世界に,燃えさかり,崩れ落ちる建物と人々の阿鼻叫喚がうずまくのが,透けて見えます。
炎につつまれ,痙攣する黒い肉塊と化す人々。
彼らの影は薄くなり,今見る姿はまるで亡霊のようです。
だが,これらのことを彼女は口にしません。
長年の病院暮らしが,用心することを教えてくれたのです。
あるとき,エイリスは影でなく,実体を有する男ジムに出会います。
何とか彼を引き止め,レストランで食事をしていたそのとき,スピーカーから警報が流れてきます。
「シェルターへ…シェルターへ…退避せよ!」
悲鳴をあげた亡霊の群れが,火勢の最も激しかった方へと走り出すなか,エイリスは彼をひっぱり,群集の流れに逆らい,カフェの地下室へと駆け込みます。
大地をゆるがす震動…
…やがて,朝がくる。
不気味に静まりかえる廃墟と化した町。
エイリスは,すすり泣き,ふたりして町を出ようというジムの顔を見て,ふるえだし,彼の手をふりきって,駆け出しました。
彼の顔に浮かぶのは亡霊の影。
カッサンドラは,ギリシア神話に登場する,悲劇の予言者として知られるトロイアの王女です。
アポロンに愛され,予言能力を授かりましたが,アポロンの愛を拒絶したため,カッサンドラの予言は誰にも信じられないようにされてしまったといいます。
エイリスも,また,悲劇の予知能力者。
誰にも信じてもらえず,また誰をも助けることができません。
でも,せめてジムを助けることはできたんじゃないですかね。
彼が崩れ落ちる瓦礫に直撃されるのを見捨てたような気がするんですよね。
まあ,それも運命論的に決まっていることは動かせないということですか。
エイリスの見る幻が実体化した廃墟の世界,彼女には,核戦争前の世界が,幻であったのかもしれません。
実にペシミスティックで、後味のよい作品ではありませんが,コンパクトにまとめられた好編であります。
1979年度ヒューゴー賞短編部門受賞作。
新潮文庫「タイム・トラベラー」収録。
