アイスクリームの帝国~ジェフリイ・フォード①

 あなたにとって,吹き消したバースディケーキの蝋燭の匂いなど珍しくもないものだろうか。ぼくにとっては,ヴァイオリンの低音弦を弓で弾くような音が,その香りが占めるはずの座を奪っている。…アコースティック・ギターの音色は,ぼくの目のまえに黄金の雨のように見える。ちょうど頭のすぐ上の高さから落ちてきて,ぼくの太陽神経叢のあたりで消える。 

 Are you familiar with the scent of extinguished birthday candles? For me, their aroma is superceded by a sound like the drawing of a bow across the bass string of a violin. … Likewise, the notes of an acoustic guitar appear before my eyes as a golden rain, falling from a height just above my head only to vanish at the level of my solar plexus.

 主人公は,“共感覚”を有する特異な存在。

 両親から,そのような感覚を認められず,ほかの子どもたちからも隔離された育てられ方をしていたが,ストゥーリン先生から,“共感覚”の持ち主として,ある意味特別な才能であるとの診断により,両親の管理の呪縛から解放されることになります。

 もちろん,簡単に社会に適応することはできませんが,特別な音楽の才能をいかして,作曲の道を進もうとします。

 一方,主人公には,コーヒーにより,リアルな人物が現れるという,珍しい“共感覚”があり,アンナという,絵画に秀でた美しい少女の姿が現れ,それが,言葉をかわし,互いの世界を行き来せんばかりの生々しささえ帯びてきます。

 そして,主人公の創造物だと思っていたアンナは,主人公こそ,アンナの空想の産物に過ぎないと主張します。

 アンナの主治医でもある“ストゥーリン先生”は,アンナに“共感覚”を消し去る薬を与えるといいます。

 二人の“共感覚”の世界が揺らぎはじめます。
 さて,事の顛末はどうなるのでしょうか。


 五感がとりどりにクロスオーバーする,不思議な感覚世界。
 作者は,巧みに,この秘密の世界を,読者の前に繰り広げてくれます。

 でも,どこか儚く消え去りそうな世界。その溶けていく様を,アンナの世界と対比させる,非常に技巧的で繊細な手法を用いています。
 「アイスクリーム…」なんて,うまいタイトルをつけるもんですね。

 伏線の張り方も見事ですし,ラストも哀しいけれど大変美しい。
 主人公の音楽が,絵画として結晶したのでしょう。この静謐さも心に染み入ります。

 実に文学的で精巧なファンタジーですが,訳者も中野善夫氏ということで,原作の味わいを十分表現されているのではないかと思います。

 サイ・フィクションで,原文が掲載されていました。

 2004年度ネビュラ賞ノヴェレット部門受賞作。