重い情緒障害児を有するヴラデック夫妻は,ある決断を迫られていた。
わが子の身体を,交通事故により生死の境にある別の少年に提供するのか否かを。
重い課題に取り組んだ作品だが,脳死段階での臓器提供の是非が問われていることと比較すれば,たとえ回復の見込みが望めなくとも情緒障害を理由に,わが子の人格を葬り去ることなど決断できるはずもない。
たとえ,その少年が利発なよい子であったとしても,そんなことで正当化されるものではない。1973年当時はいざしらず、今であれば、物議を醸すような作品でもあると思います。
真剣に悩む夫妻の姿に,正直,「なぜ悩むのだろう」という違和感を覚えながら,読んでいましたね。
そこらへんの,倫理観というか,宗教観というのは,どうなんだろうか。
ちょうど,最近,エリザベス・ムーンの「くらやみの速さはどれくらい」という自閉症児を描いた話題作を読んだところであるので,余計にそう感じるのかもしれない。
もちろん,本作品は,倫理的問題というよりも,このような特殊な移植も可能になったらどうなるかという葛藤に焦点が置かれていると思われる。
主人公は,眠るわが子にしばらく寄り添った後,医師に連絡するために受話器をとる。
彼は,どちらの決断をしたのであろう。
1973年度ヒューゴー賞短編部門受賞。
フレデリック・ポールが,C.M.コーンブルースの残したメモをもとに仕上げた作品だそうである。
「SFマガジン」1974年10月号掲載。
